
院長 柳 陽一
山口県で生まれ、小学校2年で剣道を始めた。
環境なのか素質があったのか、出る大会は全て勝利した。
そんな成績が認められ、全国屈指の中高一貫強豪校のPL学園に進学した。
中学2年でレギュラーとなり、全国制覇を成し遂げ、高校のインターハイでも準優勝を飾った。
12~18歳までの6年間、親元を離れた剣道づけの生活は、日本一を取ることを疑わず疑わせない生活だった。
玉石混交、友人さえもライバルという環境でレギュラーになり全国制覇を成し遂げることを目的とした毎日は、成長期の体を容赦無く痛めつけた。
進学したのは大学剣道の強豪、明治大学。
1年の時に関東学生選手権個人戦で優勝し、団体でも準優勝。
就職したトッパンムーアではレギュラーとして全国実業団選手権で優勝を飾った。
文字に起こすと自分でも輝かしい戦歴を歩んできたように思える。

剣道日本一になったからこそわかる
“故障とそのケア”
そんな剣道人生の中で常につきまとったのは「故障」
輝いて見える戦歴の隣で、中学の時から慢性の腰痛で週数回の鍼灸院での鍼治療。
そのほかにも、ふくらはぎの肉離れ、アキレス腱痛、数え切れない体の故障を抱えて生きてきた。
道場での稽古と接骨院での治療時間が同じくらいだったんじゃないかというようにも思える。

アスリートの光と陰
30歳を超えて第一線での活動に陰りを感じた時、「この先どう生きていこう」そのことが常に脳裏に引っかかっていた。
「輝かしい戦歴」が光だとしたら、「体の故障」が陰。
その表裏一体が私の人生だとしたら、私を支えてくれた「治療家」になろうと決めた。
やったことしかわからない。
やったことしか残らない。
治療家として痛みを取るのは当たり前。
アスリートが結果を出すのに必要なのは「元気」や「やる気」だから、見えない心の部分もケアしていけるのは、同じ道を辿った経験しかないと思う。
私はこの「あかさか二丁目接骨院」で自分が経験した数多くの故障を、アスリートを支える糧にしていきたいと考えています。